トップから最終ラインまであらゆるポジションを経験してきた浜田遥だが、決して起用なタイプではない。「技術がある訳ではないので・・・」とは彼女が自身を語る際に必ず出てくる言葉だ。しかし、サッカーに必要なものは技術だけでないことを浜田のプレーは教えてくれる。求められる役割に何度でも真摯に向き合ってきた浜田が、途絶えさせることなく自ら望み続けたもの——今、彼女から放たれている最高純度の探求心の源を見た気がした。
——男子の中で一人奮闘していた小学校時代から、中学以降はサッカー三昧となるJFAアカデミー進学を決めました。
自分が全国でどれくらいの位置にいるのか試してみたかったんです。サッカーをするのも見るのも好きだったので、オフの日でも一日中ボールを蹴ってましたね。寮の中にライブラリーやテクニカルルームもあって、自分が好きなサッカーに色んな角度からアプローチできる環境がありました。今でもああいう生活をしたいです。
——裏への飛び出しという強みはこの頃にはもう覚醒していたのですか?
いやそれが・・・。FWでプレーしたかったんですけどサイドハーフで使われることが多くて、世代別の代表でもサイドバックだったので、なかなかそこまではいきませんでした。でも、今の特長になっている“裏への飛び出し”は、色んなポジションをする中であらゆる角度からサッカーを見ることができたからだと思います。
——アンダー世代の代表ではとにかく試合ごとにポジションが変わってましたけど、結局はなんとかしてしまうその対応力に注目していました。
対応力はないですよ(笑)。でも確かに1試合で3、4回ポジションが変わることもありましたね。どのポジションでも、点を決めたいという気持ちでやっていました。サイドバックだったら優先順位はゴールを守ることのはずなんですけど・・・。今思うと同じ守備ラインだった人に申し訳ないです(苦笑)
——小学校のときはFWだったんですか?
いえ、サイドバックです。
——浜田さん、重要なことに気がつきました。高校までの話を伺ってきましたが、まだFWというポジションについていません・・・
そうなんですよ!すごくFWがやりたくて、アカデミーの時も何度も直談判したんですけど聞き入れられず・・・。仙台に来る21歳まではFWには触れられませんでした。
——では、本格的にFWが出来るとなった時の喜びたるや・・・
もうすごかったです!仙台でも最初はセンターバックでプレーしていたんですけど、スタメンから外れたときがあって。そのときサブチームにFWの選手がいなくて、紅白戦で私がFWに入って点を決めて・・・。それがきっかけです。あそこで点を決めていなかったらたぶん今でもDFでした。
——そこから今の浜田さんのスタイルが確立されていくんですね。
本当に上手い選手は相手の状況を見てタイミングをずらして背後に抜けると思いますが、私はそれが出来ないので、本能で抜けてる感じです。ドリブルでかわすよりも、背後へ抜けた方がボールタッチの回数は少ないじゃないですか(笑)。足元の技術がない自分に合ってます!
——松田岳夫監督が就任されて、頭脳プレーが必要になってきますよね?チームとしても変化は出てきましたか?
まだまだ形にはなってないんですけど、練習を重ねてきて松田さんのイメージに近づきつつあるとは思います。自分たちも松田さんが求めているサッカーをやりたいですし、やっていてとても楽しいです。
——みなさんにお伺いしているのですが、今年の私は〇〇が違う!というのはありますか?
今年の私は・・・、ゴールのバリエーションが増えます!今までは元々持っているスピードだけでプレーをしてきたんですけど、今年からフィジカルコーチが入り、身体の仕組みや使い方を教わっているので、今まで以上にスプリントの速さを上げたり、色んなパターンでシュートを打ったり、身体を生かしたプレーをしたいですね。
——WEリーグ一番の〇〇な選手になるというのは?
一番元気な29歳になる!若い選手が多いんですけど、年齢関係なくいつでも成長していけることをチームメイトに見せていきたいです。
——最後にファン・サポーターの方にメッセージをお願いします。
今年は震災から10年という節目の年です。自分たちが諦めずにボールを追う姿で元気やパワーをたくさん届けられるよう、まずは私たちがその気持ちをプレーで表現するので、応援よろしくお願いします!
【プロフィール】
浜田遥(はまだ はるか)
1993年1月26日生まれ、大阪府出身
FW、背番号10
高槻桜台FC → 高槻ユースクラブ → JFAアカデミー福島 → 東京電力女子サッカー部マリーゼ → スペランツァ大阪高槻 → マイナビベガルタ仙台レディース