マイナビ仙台レディースは3月13日を「多様性を認め合い誰もが暮らしやすい社会=共生社会」の実現に向けた学びの日とし、パラアスリートを招いてパネルディスカッションを開催したほか、パラスポーツを体験しました。
イベントは仙台市内の仙台白百合学園で行われました。クラブと仙台白百合学園は選手育成(アカデミー)活動で連携してきましたが、さらに関係を深めるため「地域のスポーツ・文化振興に関する包括的連携協定」を締結したばかりです。この日、アカデミーの選手は運営スタッフとして大活躍。他県から入団した選手の多くは仙台白百合学園の中学、高校の寮生として学んでいるということです。
パネルディスカッションに先立ち、パラアスリートの谷真海選手が基調講演をしました。宮城県気仙沼市出身の谷選手は、招致に貢献した東京大会などパラリンピックに4度出場。東京大会では開会式で日本選手団の旗手を務め、トライアスロンで奮闘しました。
谷選手は早稲田大学2年生の冬に骨肉腫を発症し、その後、義足の生活に。喪失感と絶望感の中、スポーツに希望を見いだし、パラリンピックに挑戦するまでの試練や困難を語りました。
続くパネルディスカッションは谷選手のほか、視覚障害者がプレーする「ブラインドサッカー」日本代表で宮城県登米市出身の鈴木里佳選手が登壇。クラブから主将でFWの浜田遥選手、右膝の大けがから復帰、このほど3年4カ月ぶりに公式戦に出場したFW宮本華乃選手が加わりました。
議論のテーマは「誰もが夢や目標に歩み続けられる『共生社会実現』に向けて」。ジェンダーやハンディキャップを超えて夢や目標を達成できる社会を目指すため、女子アスリート、パラアスリートの立場と経験から思いを語りました。
鈴木選手は自身のハンディキャップについて、電車の乗り換えや買い物で困る場面があると紹介。視覚障害がある人を大変そうだと見るのではなく、ポジティブに捉えてほしいと伝えました。その上で「声を掛け合うコミュニケーションを大切にしてほしい」と訴えました。
浜田選手はジェンダーについて触れました。思春期に所属していたチームで女子の選手は浜田選手を含めて2人。その選手が休んだときなど、女子は1人となり男子選手やコーチらとのコミュニケーションに難しさを感じたこともあったそうです。谷選手は出産を経て復帰したものの、日本での前例は少なく、育児と競技の両立に試行錯誤したと打ち明けました。
様々な環境下にあるアスリートのストーリーに宮本選手は「お互いが支え合う話を聞いて、私たち自身もできるようにしていきたい」。最後に浜田選手が「共生社会実現のために自分にできる小さなことから努力をしていきたいです」と述べて、ディスカッションをまとめました。
聴衆の男性は意識が変わったそう。「選手たちから具体的な話を聞けたのはすごくよかった。会社にも女性社員がいるので、歩み寄れるようにしていきたいです」と話しました。
パラスポーツ体験にはクラブの全28選手が登場。ブラインドサッカーとボッチャ、それにシッティングバレーボールを参加者の皆さんと楽しみました。
ブラインドサッカーは仙台市を拠点に活動し、鈴木選手も所属するクラブ、コルジャ仙台のご協力で行われました。鈴木選手がドリブルから華麗にシュートを放つと、体育館がどよめきました。目隠しをしてプレーをした小学生の女の子は「初めて体験しました。最初は怖かったけれど楽しかった」と目を輝かせました。
ボッチャは赤い球と青い球を6球ずつ投げ、白い目標球に近い方が点を得る競技。宮城県障害者スポーツ協会に指導いただきました。子どもがファインプレーに大喜びする一方、MF長野風花選手は思い通りに転がらないボールに「難しい!」と声を上げ、悔しそう。ゲームは白熱しました。
座ったままプレーするシッティングバレーボールは、宮城県内にある唯一のチーム、第二塩化リゾチームにコーチ役をお願いしました。お尻を床につけたまま体育館のコート内を移動する練習からスタート。思い通りに動けなくても選手たちは懸命にチャレンジしました。ゲームでトスからスパイクが決まると全員で両手を上げて喜び合いました。
最後にクラブの粟井俊介代表取締役社長が「今日得た学びをチームは選手と一緒になってこれからも取り組んでいきたいと思います」と今後の活動へ意欲を述べました。クラブコンセプト「日本でいちばん、“ひと”が育つクラブへ」の実現と、共生社会作りへ確実な一歩を踏み出したWE ACTION DAYになりました。