浦和レッズレディースユース出身ではあるが、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースでサイドバックに磨きをかけた時間は7年。大きく成長して上野紗稀は自身の起点ともいえる浦和に再び戻ってきた。ライバルとして見てきた浦和で、昔の仲間と共に同じピッチに立つ——そこにはプロサッカー選手としての決意を新たに、純粋にサッカーを楽しむ上野の姿があった。
——上野さんと言えばサイドを駆け上がっていくイメージですが、このスタイルは最初からですか?
もともとサイドハーフをやっていたので攻撃が好きなんでしょうね。どうにか攻撃に関わりたいっていう気持ちもあり、あわよくば点を獲りたいと常に狙っています(笑)
——サイドバックに目覚めたのは?
ジェフに行ってからです。今だから言えますが、最初はあまり好きではありませんでした。攻撃に関われないと思ったからです。だけど後ろから上がって攻撃に参加できるスタイルになってから楽しいと思えるようになりました。真ん中から裏にボールが出てきて、相手と1対1の勝負になったり、自分のセンタリングを味方が決めてくれたりしたときの「よし!」という感覚が醍醐味だと思います。
——サイドバックは直線の動きが主ですが、上野さんはバリエーションを多く持ってますよね。
駆け上がってセンタリングもありますし、早い段階から逆サイドや裏を狙ったアーリークロスでサイドチェンジから展開できるのは特長だと思っています。実はこれ、ジェフのときに浦和戦に向けた対策の中で見出したものなんです(笑)
——それを今、浦和で活かしてる訳ですね(笑)。そのプレーを支える走力はどのように育まれたのでしょうか?
レディースユース時代は本当に体力がありませんでした。しかも疲れたらすぐにやめちゃう頑張れないタイプなのを当時の監督にバレてしまいまして(笑)、一人ですっごい走らされたんです。途中から反骨精神がメラメラと湧いてきて、苦しくてもやってやる!とか、やり続けるというのを自分の中で決めて、そこから体力がついてきました。このときに走り込んでいなければ、ジェフではやっていけなかったと思います。
——その後、浦和への復帰という道が開けました。
レディースユース時代からトップチームへの憧れはずっとありました。最後は浦和でやりたいというか、一度は浦和でやりたいという想いがあった。ジェフも監督が変わることになり、私も、自分の能力向上をさらに求めて違うチームで始めようと思ったときの選択肢は浦和しかありませんでした。同じユース出身の栗島朱里とずっと一緒にやりたいねって話をしていたのもあります。やっぱり朱里のポジショニングはすごい!視野が広いんです。彼女から学ぶことは多いですね。
——そんな上野さん。今年の私は〇〇が違う!というところはありますか?
今年の私は顔つきが変わります!
——新しい(笑)!それはプロ化されるという心の変化に伴って?
今まではどこかに仕事があるからっていう甘えがあったと思うんです。サッカー一本になってそれが仕事になったときに、もっともっと向き合う必要がある。そうすると意識が変わる。それを表現してみました(笑)
——変わると言えば背番号も変わりました。
一桁という数字は自分の中では特別なんです。責任感をより強く持つために変えました。話をもらったとき、12番も自分の中ではしっくりきてたんですけど、自らプレッシャーをかけるため、プロへの決意の「5」です。
——WEリーグの〇〇第一号になる!というものを教えてください。
私はデュアルキャリア両立のWEリーガー第一号になりたいです!WEリーグ自体が地域貢献活動も理念に掲げていますよね。そこ以外でも、女子サッカーを知ってもらうチャンスを作っていきたいです。
——具体的にやってみたいことはありますか?
セカンドキャリアに悩むこと自体を少なくしたいと思っていて、学生やクラブチームの選手たちが自分自身を知って、こういうことをやりたいとか想像を広げてもらえるような事業をやってみたいです。 学生もプロもいつどうなるかわからない。サッカーに思い切り打ち込んでいて、もし大きいケガをしてやめなきゃいけなくなったとき・・・そりゃ不安だろうなって思って、考えるようになりました。
——そういう視点は重要ですよね。最後にファン・サポーターの方へメッセージをお願いします。
新しいプロリーグを今まで以上に盛り上げられるように選手全員で作っていきたいと思っています。コロナ禍ではありますが、状況を見ながらスタジアムに足を運んで応援していただけたらと思います!
【プロフィール】
上野紗稀(うえの さき)
1994年11月20日生まれ、千葉県出身
DF、背番号5
ラビットキッカーズ → 松戸FC → 浦和レッズレディースジュニアユース → 浦和レッズレディースユース → ジェフユナイテッド市原・千葉レディース → 浦和レッズレディース