一般社団法人日本女子プロサッカーリーグは7月3日(金)、社員総会にて岡島喜久子氏の代表理事就任を決議し、本日9日(木)の日本サッカー協会理事会に報告しました。WEリーグでは代表理事の呼称を「チェア」とし、これにより、岡島喜久子氏がWEリーグの初代チェアに就任することとなりましたのでお知らせします。
WEリーグのチェアを拝命した岡島喜久子です。私は1972年から中学校の男子サッカー部で練習を始め、同じ年にFCジンナンという日本初の女子サッカークラブでプレーし、幸いなことに日本代表にも選ばれました。その後、日本女子サッカー連盟の理事、事務局長として関わらせていただいたわけですが、日本の女子サッカーの幕開けを経験した私が、初めてのプロ化という日本の女子サッカーの新たな一歩を共に踏み出せることを嬉しく思います。
WEリーグのチェアとして、実現したいことが二つあります。まず、プロのWEリーガーの姿を、サッカーをしている女の子たちの憧れの存在にすること。アメリカでは、女子サッカーの試合にはユニフォームを着た少女プレーヤーがチームメートやコーチと観戦に来ていたり、お嬢さんがサッカー選手だとひと目で分かるファミリーがたくさんいます。サッカーをしている女の子たちをはじめ、さまざまな人々にプレーを見に来てもらうことを大切にしていきたいと考えています。
そしてこのリーグのもう一つの役割は、リーグ名にも込められている「Women Empowerment」です。日本の女子プロスポーツが発展することは、女の子たちの夢の限界をなくす一つの象徴になると考えています。あらゆる業界で頑張っている女性たちが集う「場」としてコミュニティをつくりながら、サッカーを通じて日本中の女性が元気になるようなメッセージを発信していきたいと思います。
まずは岡島さんのWEリーグ初代チェアご就任おめでとうございます。
女子サッカーの発展を考えるにあたり、なでしこジャパンの強化抜きに語ることはできません。1989年の日本女子サッカーリーグ開幕以降、諸先輩方が30年以上にわたって紡いできた日本の女子サッカーは、2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝という形で大きく花開きました。あの感動を再び味わい、さらなら高みに到達するためには、子どもたちの夢の受け皿となる場と人材が必要です。
Jリーグが開幕した1993年以降の日本サッカーを見れば明らかな通り、リーグと代表は、その国のサッカーの発展を支える車の両輪です。女子サッカーの先駆者であり、そして長く海外で仕事をされてきた岡島さんには、そのご経験や知識に基づいた多角的な視点でWEリーグを率いていただき、日本女子サッカーの普及と育成・強化、そして、WEリーグが目指す女性活躍社会をリードしていただきたいと期待しています。
氏名
岡島 喜久子(おかじま きくこ)
生年月日
1958年5月5日
出身地
東京都(1991年から現在までアメリカ・メリーランド州に在住)
最終学歴
1983年 早稲田大学商学部 卒業
※大学2年時、ウェスリアン大学(アメリカ)に1年留学
スポーツ医学、コーチング学を専攻
職歴
1983年 ケミカルバンク(現JPモルガン・チェース銀行)東京支店
1988年 国際証券(三菱UFJモルガン・スタンレー証券)
1990年 子会社のコクサイシンガポールマーチャントバンク(シンガポール)
1991年 First National Bank of Maryland(アメリカ)
1999年 Riggs Bank(アメリカ)
2004年~2019年 メリルリンチ(アメリカ)
前 The Women’s Board of Johns Hopkins Hospital- Board Member
前 Calvert School – Board Member
前 メリーランド神奈川姉妹州委員会 委員長
前 神奈川県国際政策アドバイザー
サッカー歴
1972年 中学2年時に中学校の男子サッカー部に入部。その後FCジンナンに入会
1974年 高校1年時、東京都サッカー協会主催のリーダースクール(現公認D級コーチ養成講習会)を女性として初めて受講
1978年 海外で開催された国際大会「第2回AFC女子選手権」にFCジンナンが単独チームで参加
1979年 日本女子サッカー連盟設立時に初代理事メンバーに就任
1983年 日本女子代表チームのメンバー(選手)として広州女子国際大会に登録
1984年 日本女子サッカー連盟の事務局長に就任
日本女子代表チームのメンバー(主務)として西安招待国際女子大会に登録
1989年 海外転勤を機に引退
1996年 アトランタオリンピックでサッカー日本女子代表チームのスカウティング業務をサポート